序 章 セアラ・ヘイルと「家庭性の黄金時代」
一.(反)フェミニストか帝国主義者か──セアラ・ヘイルのペルソナ
二.家庭性イデオロギーと「男女の領域分離」論争の展開
三.家庭から「市民社会」の構築へ
第一章 「共和国の母」から「慈悲深き帝国」時代の女性たちへ
──『ノースウッド』にみるセアラ・ヘイルの思想的変遷と「慈善」のイデオロギー
一.「共和国の母」から娘へ
二.一八二七年版テクストにおける共和国市民の美徳、模範的女性像、チャリティという「慈善」
三.一八五二年版テクストにみる「慈善」のジェンダー化
第二章 「女性の領域」を読む女たち
──『女性講演家』のジェンダー・ペダゴジー
一.アメリカ初期演説文化と女性による講演行為
二.誤読される女性講演家
三.実践的テクストとしての『女性講演家』
第三章 ボーディングアウトする女、家庭にしがみつく男
──(反)ボーディングハウス小説の場合
一.ボーディングアウトする白人中流階級
二.(反)ボーディングハウス小説というジャンル
三.『ボーディングアウト』のパラドクス的な語り
四.混沌と化す「客間」、神聖化される「書斎」
五.リパブリカニズムへの回帰
第四章 分断された家庭、創出される良妻
──ハウスキーピング小説の場合
一.危機に立つ「女主人」——アンテベラム期の家事奉公事情
二.白人中流階級家庭の「良妻」をつくる
三.家庭空間を分断する
第五章 リベリア礼讃
──セアラ・ヘイルのアフリカ植民思想にみる男性性の危機・回復・依存
一.ペイトン氏の「男らしさ」の危機──福音主義的男性性とリベリア植民運動
二.ペイトン氏の「実験」における男らしさのゆくえ
三.「依存」の構造──福音主義者の男性と消された女性
第六章 共和国の娘たちへのクロニクル
──『女性の記録』における家庭的歴史の語りと「女性市民」の形成
一.「女性の領域」から市民社会へ──『女性の記録』の評価をめぐって
二.母親であることの不当と苦しみ──家庭的歴史の「心情」の語り
三.アングロサクソニズムと女性の市民性
四.「母」でなく「妻」でなく、「女性市民」を記録する
終章 切り貼りされる自己語り